2024年 抱負 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 1月 07, 2024 ・通常通り学ぶ。・解釈は全て空想/創作エミュレーター内で。・学んだとて、それもゆくゆくは溶けるカリソメの定規の断片である事を前提に。・取り敢えずは持ち場を保守しつつも、全て臨機応変な操縦で。・意欲のマリモに栄養を与える。今年も宜しくお願いします。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ コメント
<日記> 花火の幽霊 9月 06, 2023 "俺の痛みはお前以上だ"現象を避けたいが為に、去年の心の脱線後の決意から、 困難にいる時や疲労が溜まっている時に弱音や愚痴は極力吐かないようにはしていた、 でも溢れてはいたので、良い点も踏まえちゃんと経験の中から拾っていく、 あと、この仕事は時にキツい局面もあり、テーマパーク裏側の苦労話しになりそうで、 疲れた顔は見せないのが成熟の過程だとハードル設定をしてた。 心的には深刻であったけど、深刻な事を深刻に書いても良い風は起きないので、 あえて楽観的な態度で記していく。 まず冬は完全に哲学的ゾンビ状態で、そこからなんとか復活していった、 最初から全力投球ではなく、安定的な精度の維持に、しっかり時間をとって仕事をした、 結果順調であったのだが、コンペ負けやポシャり等が3回連続で発生し、 3ヶ月取り組んだ花火が水の中に沈んでしまったような気分であった。 モブのキャラクターも、背景も、手を抜かずに、全ての人物の意思を誤魔化さず描いた、 念を入れたからこそ、虚空へ消えた事が少し脱力のキッカケとなった。 だがしかし、この仕事に関しては原因も結果も自分の力量次第でしかない、と思い、 そこから「絶対挫けないの巻」という仕事に対する執着が発生した。 無限にリテイクがあっても、急に変更があっても、全てに対応した。 もはや敵は自分だけであり、自分とレースをしてるような状態だった、 正直、空回りになっているくらいだったけど、なんとかその後は線路に戻れた。 エピソード記憶としては、これは「成功体験」として脳に深く記録されると思う、 こういうのを日記にして残すのは、他者との情報的接触もあるのだけど、 未来の自分が読み返す可能性も十分あるので、もし今の自分がブースターとして機能し、 未来の自分の糧になったのであれば、未来から褒められるような気もするのだ。 だが、もし未来が散々になっていたら、未来からジメジメと責められるのであろう。 そして、そうこうしているうちに夏が終わろうとしている、 行きたい場所も観たい映画もあったけど、一旦は封印した(幾つかは行けたけど) 学生時代、弱点に反芻する私に美術の先生に言われた「やる時はやらなきゃならない」 という言葉が良い感じに燃料となった。 そもそも論、原初、そして最終的にこの学業は何なのか? という自問に答えられる哲学を過去拾えていた事が 続きを読む
境界線について (生活、仕事編) 12月 16, 2023 ところで、このブログで書いた事はかなりその後の自分は守ったりしているので、 引き続き軌道の系譜として重宝していこうと思います。 今回はあまりに当たり前の話をすると思うのですが、たまに振り返る事も大事だなぁと。 ■部屋のオブジェクト 境界線、内と外、カテゴリー、 例えば、洗濯物。特に冬になると毎日は洗濯しないけど、 しかし外に出たり寝間着に変えたり等の衣装チェンジもあります、 なので「クローゼットには戻さないがここ数日は使うであろう」というカゴ(境界)に入れる、 そのような押入れ、洗濯機、の中間のエリアはあらゆる場面にありまして、 本棚であれPCのフォルダであれ、特にデスクトップのとっ散らかりは激しい。 「曖昧な領域」の種類(カゴ)が増えても日常に入り切らないし、 そのまま管理しなくなったカゴは存在も忘れかけてしまう。 しかし私が尊敬する作家や先生の部屋、仕事場は想像を絶する乱雑さがありまして、 足の踏み場すら無い、全てが曖昧な原始地球のような世界もあります、 「部屋全てが一つのカゴ」という老子的な無為自然でも成り立つのかもしれませんね、 しかし私の場合、どこに何があるか分からなくなると、探してる時間と、 過去、適当な場所に置いた自分に対して時空を越えて異議が生まれるので、 なるべくは区分けし、カテゴリーに分けていくのが好ましいのであります。 ◯△✕▢◯△✕ ↓ ◯◯ / △△ / ▢▢ / ✕✕ この原理。 ■ 仕事の境界 では次は仕事上の境界、の前に仕事とは違えど、 例えば今こうして文章を書く時、メールでもそうなんですが、 特に歌詞がある音楽を聴きながらだと別な単語が混じってしまいます、 なので無音か歌詞の無い音楽が好ましいし、ましてや動画を流しながらでは何も出来ない。 一つの仕事の中にも色々あるでしょうけど、 それ以外を入れないという集中状態の境界線を作らねばいけない時もあります、 人と話しながらでも出来る人もいますし、自分も作業によっては出来ますが、 サーフィンのように波に乗っているような良い状態(いわゆるゾーン)の時は、 そのまま波を維持したほうが良い具合に進む事もありそうですね。 なのでその作業の境界の外側に一時的に色んな事を出さなきゃいけなくなる。 しかし境界を展開し続けても他の事もあるわけで、 ご飯作ったり事務作業したり外に出たり、自分の時間(趣味)に 続きを読む
泥の中の花 6月 14, 2023 自分のエゴを優先し、周囲の「あるべき」期待から踏み外し、踏みにじり、 自由を目指そうとしたプロセスで、もうずっと思い続けている、 こんな事をしてまで目指すべき理想なのだろうか、 抽象的に言うと、この枝の分岐の先に花は咲かないのではないかと思う。 散々夢で、泥の中を探し求めて出てきたのは、そういった「視点」であり、 筋道や道理や論理や正しさを越えて、一つ一つ、一応でもちゃんと向き合うという姿勢が圧倒的に足りなかったのだと思った。 ゴールが重要なのではなくプロセスの描き方が大事だと、様々な物語を読み子供の頃はそう思っていたはずだが、プロセスの中にいると、まず根本的に軸になる哲学も公理も無くなる。 そして扁桃体に事の舞台は移され、語彙を失い、説明もせず、橋も作らずに分離が行われる、 アキラでいう朽ち果てたオリンピック会場の玉座に座ってるような気分になった。 個の人生の平均的理想経路のパターンのマテリアルは少なく、 物語作りに原初的素材である古事記を引用するのと同じくらいに、人生のパターンの素材は少ない。 そしてそれぞれ、同じヒトという概念下の中で同じように見えて、少しであれみんな違っているだけの話で、その場合は単にすれ違いが起きた時に「説明」を誠実にすればよかったのだ。 それは自分の形に相手を変えるのではなく、相手の形に自分を変えるのでもない、どちらの形も変えずに、そうでなければならないという事を互いが話して聞いて、 その後どう判断するかは各々が決めればよかったと、今からだと思う。 私がやってきたのは、攻撃から守る為に作り上げた自我そのものが、自他ともに脅威になったのだ。 ちなみにこのブログはだいたいの記事が、余分な自我を分解して出てきた破片を敷き詰めているようなものです、破片の無毒化(非・呪詛化)はされてると思います。 続きを読む
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