子供の頃の数ある夢の選択


人生のリソースが無限にあるならば、幼少期の自分の夢を全て叶えてあげるのが理想だけど、

気力、体力、資金、時間、いろいろと使える物は限られている、

数ある夢の中から何かを選び、何かを諦めなければならない、

選びたい物を直感で選ぶならもう決まっている、当時夢見た景色の映像化だ、

そしてそれらには形が無い思いで浮かび上がってきた物で、自分にとっては真実だ。

話が変わるが、この前また千と千尋の神隠しを観た、

そして一番リスペクトしてしまった人物が「釜爺」だ、永遠と馬車馬のように作業をし続けている。

なんとカッコいい事か。

自分はそのレベルでは無いが、数年前はちゃんと24時間机にかじりつく蟲であった、

しかし子供時代の数ある夢、それぞれを実現させようと動き出した結果、今の有様だ、

でも後悔はしてなく、この事に気づくための過程であったと思う、

拾えた物も沢山あるし、それらは心の中では何かの原石となったと思う。

何が言いたいかというと、シンプルに、アニメーション作り以外の自分の夢はそっと箱に入れて心の中にしまおうと決めたのだ。

人間としての人生も生きたいと思ったが、烏滸がましい、私は鉛筆(ツール)に過ぎないのだ。

だから、ここ3年くらいで私が言ってきた「言葉」については忘れてもらって構わない、

そして言葉で脳の中心を掘るのがどうにも違和感がある、というかそもそも苦手だ、

鉛筆で、線で、面で、中心を探る方がどうにも心地良いし、直感を用いれる。

そもそも、こうしてボヤンと何かを作れる時代にいる事が奇跡みたいなものだ、

そんなわけで、より良い10年を力を尽くして生きよう。

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