<日記> 花火の幽霊



"俺の痛みはお前以上だ"現象を避けたいが為に、去年の心の脱線後の決意から、
困難にいる時や疲労が溜まっている時に弱音や愚痴は極力吐かないようにはしていた、
でも溢れてはいたので、良い点も踏まえちゃんと経験の中から拾っていく、
あと、この仕事は時にキツい局面もあり、テーマパーク裏側の苦労話しになりそうで、
疲れた顔は見せないのが成熟の過程だとハードル設定をしてた。

心的には深刻であったけど、深刻な事を深刻に書いても良い風は起きないので、
あえて楽観的な態度で記していく。
まず冬は完全に哲学的ゾンビ状態で、そこからなんとか復活していった、
最初から全力投球ではなく、安定的な精度の維持に、しっかり時間をとって仕事をした、
結果順調であったのだが、コンペ負けやポシャり等が3回連続で発生し、
3ヶ月取り組んだ花火が水の中に沈んでしまったような気分であった。
モブのキャラクターも、背景も、手を抜かずに、全ての人物の意思を誤魔化さず描いた、
念を入れたからこそ、虚空へ消えた事が少し脱力のキッカケとなった。

だがしかし、この仕事に関しては原因も結果も自分の力量次第でしかない、と思い、
そこから「絶対挫けないの巻」という仕事に対する執着が発生した。
無限にリテイクがあっても、急に変更があっても、全てに対応した。
もはや敵は自分だけであり、自分とレースをしてるような状態だった、
正直、空回りになっているくらいだったけど、なんとかその後は線路に戻れた。
エピソード記憶としては、これは「成功体験」として脳に深く記録されると思う、
こういうのを日記にして残すのは、他者との情報的接触もあるのだけど、
未来の自分が読み返す可能性も十分あるので、もし今の自分がブースターとして機能し、
未来の自分の糧になったのであれば、未来から褒められるような気もするのだ。
だが、もし未来が散々になっていたら、未来からジメジメと責められるのであろう。

そして、そうこうしているうちに夏が終わろうとしている、
行きたい場所も観たい映画もあったけど、一旦は封印した(幾つかは行けたけど)
学生時代、弱点に反芻する私に美術の先生に言われた「やる時はやらなきゃならない」
という言葉が良い感じに燃料となった。
そもそも論、原初、そして最終的にこの学業は何なのか?
という自問に答えられる哲学を過去拾えていた事が功を奏した。
その意思の複合体は成長し、より複雑になっていると思う、
葉の先端で反芻した後は、苗木や根など、中心に戻らないと分けがわからなくなる、
まずは自分から始めた事だ、褒められる事でも誰に見せるためでもなく、
誰かを否定したり定規にしたり承認欲求も快楽を求めるわけでもなく、
マトリョーシカのように記憶を辿れば、
ただ机でそれをやっていた子供の自己が存在する。
納得がいった時は、流れ星が切り開く宇宙の隙間から、外を一瞬覗けたような気がした。
ただそれが楽しかっただけの、シンプルな話しだったはず。
存在する物理法則を紙の上でちゃんと再現できた時に、現象や世界と同化した気持ち、
結局はそれが根幹であり、これからも変わらないと思う。
(つづけ)

コメント

このブログの人気の投稿

境界線について (生活、仕事編)

泥の中の花