ぱったぱった

 


足場として比喩しますと、
むしろ下を見ない事で、歩いてる事すら意識しない時ほどよく歩けていたなぁと思う、
ちゃんと身体は計算して勝手にやっていた事に、おそまつな思考が計算の邪魔をするようだ。
そしてもし下ばかり見て、「この足場が無くなったら」
と思うと本当に足場が無くなり落下した事があった。

足場というのが自分の想像力の産物でもあるとしたら、
気持ち一つで変動してしまう、とても不安定なものでもあり、
しかし裏返せば気持ち一つで無限に頑丈な足場に変える事も出来る。
普段、確信を持ち疑わなければ、わざわざ足元を見る必要も無かった、
無いと思えば無いし、あると思えばある、どちらも同じ事だと思う。

確信のまま、しかし足元に対し、過度に慢心せず、ただ歩いてればよかったと思う、
その足場というのは自分が作ってるのか、誰かが用意してるのか、
偶然なのか、運なのか、そういう事も考えずに、時に噛み締めながら。

もし、でも下を見ても心が動じず、想像力を維持できたら、それは中々の境地だなぁと、
自分はまだまだ些末な力でありますが、であるなら、たまには考えずに歩いてみようと。

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