Noteに日記を以降してます リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 4月 08, 2025 個人的な日記や記録はテキストプラットフォームのNoteの方に以降してます、 https://note.com/rapparuこちらのブログ(blogger)はもうちょっと抽象的な物語形式にしたく、個人的な雑記は別で欲しいなと思いました、noteは今はあまりフォロー返したりとかは出来ない状態ではありますが、よしなに。引き続きこちらでも更新はしていく予定ですが、今は物理的な筋力トレーニングの日々なのでしばらく文章はお休みする感じになるかもしれません。ではでは。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
生命の交換と責任。(Re:1年半前の記事への追記) 10月 03, 2024 https://rapparu.blogspot.com/2022/12/blog-post.html 1年と半年以上前の日記では、生きる事の因果に耐えられなくなっていたと思う、 まず、ただ散歩する事も不意であれ虫を踏んでしまい、生命を犠牲にする、 植物と動物で境界を引く事も本来同じ生命として無茶な文節に感じる部分もある、 菜食であろうがそのプロセスで微生物含めた膨大な生命を頂いてしまってる、 では家に居てネットで食料を注文しようとしても、 それを運ぶトラックが一旦どれほどの虫を轢き殺してしまっているのだろうか、 殺す役割を他人におっ被せてるだけじゃなかろうか、 キリコさん「殺すのはオレの仕事さ」(引: 君たちはどう生きるか) 生きるという事、そしてそのシステム自体に対して些かなる疑問も感じる、 しかしその疑問自体が自己矛盾を発生させるし、この手の議論も何億と回転しただろう、 その疑の解に矛盾なく答えてるのは初期仏典だと様々な破片を拾ってきた挙げ句思った、 他の生命によって「完全なる不意」か「殺意の回転」であるなら、 私がアリやダンゴムシならニンゲンには前者を希望したい所、 ジャイナ教のように徹底するのも良いけど、たまに草むらを走り回るのも大事じゃないか。 とにかく、あり得ない数の生命のサポートで今もこうして生きてるし、 そのサポートに返礼も出来てない罪悪感が心の重力崩壊に関与していると感じる、 精神的な曼荼羅で言うとかなり下層かと思ったけど、まだ浅瀬なんじゃないかと思う、 それで言ったら戦争とかはもうお話にならないけど、ふわふわするので「足場」に絞る、 この前、中国から来た先生が長年やってる整体院に行ってみた、 ずっと机仕事で姿勢がエビだったのもあるが、とても良かった、 術のみでなく先生の話が滑らかで面白かったのだ、そして振る舞いにも軸がある、 その先生の「身体」自体が歩んできた歴史を感じた、 知らない単語も多かったけどほとんどインド哲学で置き換えて理解ができる、 口だけの文学的フレーズではなく、身体の実践、その細胞群があって言葉が宿っている、 身体内部の川の流れ(血流、神経)を精妙に重視している事に感動したのだ、 菌を含め膨大な微生物の集合体として身体を「小宇宙」という単語を使われてた、 でもそれは普通の事のハズなんだけど、どこかでアタマだけが忘れて... 続きを読む
想像とか空想とか妄想について 12月 15, 2024 例えばベッドに寝そべり、天井を眺めていたら黒い点に気づいたとする、 その時は風邪をひいており、それに近づき確認する気力も無い。 そして虫が苦手だったとすると、それは「未確認な不安領域」となる。 さて、 それに対して「やっぱり虫じゃなかろうか」「もし落ちてきたら」と思ってみよう、 すると「若干」前に進んでいるような動きが生ずる事がある。 でも大事なのは「未確定」な事にある、 既に知っている天井のシミであればそれは機能しない、何も動かない、 そして動く必要もない。 ここで反転させてみよう、さっきは「虫が苦手」な設定だったけど、 「虫が大好き」であったら機能は同じだけど、気持ちが逆だ。 「ゆっくりしていってね」の気持ちから動き出すかもしれない。 この2つの例をコマを分けて想像してみよう、 ハラハラ不安になってる人と、ほんわか楽しんでる人、使ってる力は同じ。 この認識作用は天井に限らず全てにおいて機能する。 そもそも複雑系なのでグラデーションほどのものではないけど、 対象を科学的に、ありのままに見る場合は感情を切らねばならない、 天井の虫の例だと「苦手」や「好き」が認識にプラスαを加えてしまっている。 苦手だったら「虫じゃない」と思えばいいかといったらそうでもなく、 それらのプロセス自体が天井の黒い点に対して集中を起こしている。 「虫かも....」で苦しんでる場合は手助けしたほうがいいかもしれないけど、 「虫かも♡」で楽しんでる場合は、別にそのままでいいんじゃないかと思う。 その後「嗚呼、虫じゃなかった...」でガッカリするかもしれないけど、 虫が苦手で苦しんでた人なら「虫じゃなかった♡」とホッとするだろう。 苦と楽、楽と苦の順番が違うだけ。 不安や安心は精神的な波長のようなもので他者にも影響してしまう、 おおかた妄想とラベリングされるのは虫が苦手で不安なイメージを作る場合だ、 後者の楽しんでる場合は空想といっていいだろう、誰も困らない。 「A」と思えばAの文字がイメージされ、「スイカ」と思えばスイカがイメージされる。 「妖怪マグロ人参」と言われてすぐイメージできる人はこの力が十分にある。 自動か意思か、何に使うか、それだけの話し。 これを書く前、双子座流星群を見ようと1時間寝そべり、 ついでに星をぼーっと見ていた、たまに人工衛星が横断していくが、 人工衛星に「あ... 続きを読む
エネルギーについて 1月 03, 2025 ちょこちょこと人と会う機会が増えて、同時に観察もしていると、 人によって様々に精神的な力が違う、電球や恒星の比喩にすると分かりやすいけど、 とにかく腹の底から力があり、そしてそれを制御して他者の為に使ってる人もいて、 大抵、そういう人は会社でも人を束ねたり周りの感情コントロールに気を使う。 そもそも根底のそのエネルギーは、趣味から得てる人もいれば、食から得てる人、 自発的に沸かない為に活発で元気な友達の近くにいる事でそれを得ている人、 信念体系、自我のアルゴリズムで発電している人もいる。 その逆に、信念体系のアルゴリズムの種類によってコンセントが抜けている事もある。 河童の頭の皿の上に別な何かを置くことで、水が溜まらなくなるような感じだ。 そして仮想上のアルゴリズムで皿を無限に増やしてる人もいる。 というか、何を思えど、どのみち信念体系のマトリョーシカに組み込まれる。 全てが机上の空論である事を知っている自在な視野を持つ人には関係ない話だけど。 とはいえ自在のように見える素人が、他者の発電機(信念体系)をスポッと抜いてしまい、 ガラガラパシャンで前より酷くなってるケースもよくある。 無為の押し付けがうまく行くパターンはちゃんと信頼関係や尊敬がある前提で、 論理的に、科学的に正しいからといってうまくいくとは限らない。 発電効率が悪くても、そのアルゴリズムに愛着を持つ場合、 内発的、自発的、主体的にそれらを変える方が、強引による失敗よりもスムーズな時もある。 マトリックスという映画でも、「やっぱり前の世界の方が良いわ」という人物もいる。 矢を抜くような時は、直截ではなく自然排出されるような何かがあるはずだ、 矢を抜くはずがそのプロセスそのものが第二の矢となっては本末転倒だ。 そして、あるロール下においては、その時はその編成である事でしかしょうがない時もある。 その場合は、いずれ出口がある事を客観する何かヒントで十分であろう。 その瞬間のやり方が定言命法化され全体適応されてしまうと、 回路でも神経でも血管でも、ここではこっちに曲がって栄養を送らなくてはならない時も、 決まった方向だけに栄養が行き、栄養が不足してる部分が壊死してしまう。 物質的には身体の姿勢の癖で、足が痺れたりしても感覚で足を組み替えたりして、 血流のバランスを取りやすいけど、心、特に無意識はどう... 続きを読む