知恵について。


■知恵とは

その時できる中での最善を尽くす事だと思う、

魔術領域でのブリコラージュ(野生の思考 レヴィ=ストロース)のレベルから

なるべく普遍原理(再現性/科学的)を目指す過程、

その中で真面目に組み立てるのでもよい、

ビット数(知識量)がいくら壮大であれ、

身体性(現実でそれを実行した経験)が無ければ意味が無い、想定(脳内シミュレーション)で終わる、

大事な事として、最初の実行者には敬意が無ければならない、自ら育とうとする芽である、

(踏みつけて強くなるパターンはケースバイケース、どっちにも転ぶリスク有)


■記述における具体/普遍

心理的な普遍性は、一つ一つの現象は固有であれ現象名をラベリングする事は可能だ、

まずラベリングは暗示として機能する事もあるが、

具体と相対をいずれ感情に支配されず横断するには段階的に必要なプロセスと感じる、

文化や学問によって「現象名」は異なってしまう、言葉は常に仮初である、

時代は島宇宙化し、同じ文学(名称の背景)を共有してない世界も増えていくだろう、

攻撃態度と疑心、錯覚であれ感じた場合は、用語の文脈を知り、相対化が推奨される。


■以上二点の認知システムの作動条件

しかしこれ自体の認識、認知もいわゆる「うつ状態」では機能し難い事が多いと感じる、

「マインドフルネス」は、想定(想像)と経験(身体性)を自由(フル)に横断し、

その中からその時の最善を試みる事が出来る、

脳みその中の図書館のあらゆる部屋のドアを開け、学の横断可能性を秘める、

もちろん、人によって、開けられない部屋もある、常に、急ぐ必要も無い、

これを書いてる自分は無理に開けた事で余計にボロボロになり回復に時間を要した、

それ以前に、そもそもが、開ける必要性の選択権は自らにしかない。


■脱力から知恵の道の落とし穴

リラックス(脱力)をするといわゆる思考の横断性は上がるように感じるが、

脱力するとサボりがちになる事がありましょう、

そもそも何かする必要性、やってる事のレゾンデートルの地面が曖昧で脆いと、

意思よりも過去に逃避先として使った経験の方向性に行ってしまう、

脱力は、無意識に任せ、自分というロボットのコントローラーを放置する事もできる、

流れ作業や、繰り返された経験則では自動的に仕事をする事すら可能だ、時には使える、

しかし知恵は、意識的にコントローラーを持ってこそ心身(想定/身体)が合致し、

現実の中でそれらを統合する事が出来る、

ぐるぐるした輪を変えるには、知恵が必要だ、

喜怒哀楽の感情を否定しない、その中で気づける事もあるし、共感できるようになる、

しかしコントロールを外れた感情や、恐怖状態はそもそも「マインドフルネス」どころじゃない、

限られた図書館の部屋だけになる、でもそれならその部屋にある物で組み合わせられる、

限られた中で何を組み合わせるか、料理のようなものだ。

しかし、作る必要があるから作るわけであり、先ほど書いた「必要性やレゾンデートル」など、

目的があると分かりやすい、それについては個体により異なる。


■脱力と集中

リラックスしながら集中する事は最初は難しい、

経験を増やしその中で臨機応変に変えていき、パターン対応の身体経験を増やす他ない、

学問、運動技法でも其々違うだろうし、好きに選んでよいと思う、

そもそも集中する意思が無ければ意味が無い、コントローラーを持つという事だ、

ルールは固有性の中で見つけるしかない、普遍原理化されてるものは伝統的な運動法くらいだ、

新しい方法は少し、最低限であれ懐疑的な視点も持つ事も必要かもしれない、

(自分も分からない事が多いので)。

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