カウンセリングについて。
今は行かなくなったけど、過去、転々とそれらを受けた事がある、
薬物療法も同時に書くとキリが無くなるので、今回書きたい事はそこではない、
薬物療法も同時に書くとキリが無くなるので、今回書きたい事はそこではない、
ここでは「対話」というカウンセリングだけに絞る、
基本的に行かなくなった理由は「確認作業」だけになったからだと思う、
「それはこういう名称」「それは〜療法が有効」「それは扁桃体が活性化し」-等、
勿論、それら現代社会に平たく適応する為の「川へ戻す作業」として必要なのだろう、
でも図書室の虫になる周期もあるので、フロイト初め、行き過ぎた最先端もだいぶ読んでる、
知識として知ってる事に「ハンコ」を押されてるかのような確認作業だ、
最終的に、2500年前に書かれたものが語彙変化してるようにも感じる、
現代語訳は必要だし、その時その時の社会で、
言語的に求められる形へ順応する作業を否定しない、否定でも肯定でもない、
私個人の現在地から感じられる認知世界の話に過ぎない、
知識だけであろうが役立ったものも沢山ある、その後経験になった事もある、
「言語化」は、共有する上で必要になるし、学問によっても名称が違う、
この日記で書きたかったのは、色々振り返る中で輝いていた記憶だ、
最初の先生は、勿論学術的な用語を使い必要な事を編み出してはくれるが、
それだけではなく、心の構造や修復システムを「地球」に例えたり、
植物や細胞、ウイルスや生態系に例える、時には「この映画が為になる」とか、
もはや縦横無尽に、その学問とは関係ない領域から参照する、
「それはこういう名称」「それは〜療法が有効」「それは扁桃体が活性化し」-等、
勿論、それら現代社会に平たく適応する為の「川へ戻す作業」として必要なのだろう、
でも図書室の虫になる周期もあるので、フロイト初め、行き過ぎた最先端もだいぶ読んでる、
知識として知ってる事に「ハンコ」を押されてるかのような確認作業だ、
最終的に、2500年前に書かれたものが語彙変化してるようにも感じる、
現代語訳は必要だし、その時その時の社会で、
言語的に求められる形へ順応する作業を否定しない、否定でも肯定でもない、
私個人の現在地から感じられる認知世界の話に過ぎない、
知識だけであろうが役立ったものも沢山ある、その後経験になった事もある、
「言語化」は、共有する上で必要になるし、学問によっても名称が違う、
この日記で書きたかったのは、色々振り返る中で輝いていた記憶だ、
最初の先生は、勿論学術的な用語を使い必要な事を編み出してはくれるが、
それだけではなく、心の構造や修復システムを「地球」に例えたり、
植物や細胞、ウイルスや生態系に例える、時には「この映画が為になる」とか、
もはや縦横無尽に、その学問とは関係ない領域から参照する、
なぜ輝くかというと、それらが本当だからである、その先生の実体験だ、
その先生が普段、森を歩いて「感じた」似ているポイント、
映画や本で「役立った」と経験になった事、それらの接続、
すべて知識ではなく経験だ。
久し振りに「グッド・ウィル・ハンティング」を見て、同じく思った。
名前も忘れちゃって申し訳ないけど、その先生ありがとう、という日記でした。
その先生が普段、森を歩いて「感じた」似ているポイント、
映画や本で「役立った」と経験になった事、それらの接続、
すべて知識ではなく経験だ。
久し振りに「グッド・ウィル・ハンティング」を見て、同じく思った。
名前も忘れちゃって申し訳ないけど、その先生ありがとう、という日記でした。