瞑想について (終)
私は瞑想を上座部仏教の方々から学びました。最初に瞑想したのは修学旅行で山奥の禅寺での座禅でしたが、蚊に血を吸われる観察で終わってしまったので、家に持ち帰って何時間も続けたらあわわと(意味から離れる恐怖)、焦り検索してたらちょっと違う情報へ流れてしまって結果ズレてしまい、それ以降は瞑想はしてなかったのでした。
コロナ禍近辺で心のガラガラパシャンの時に、通りすがりの方に僧侶を紹介してもらい、そこから流れてヴィパッサナー瞑想を学びました。
例えば樹という現象が成り立つ循環システムは、単体では成り立たず全体性があります、言語習得前の子どもの時は、それら現象と一体だったかというと、殆ど私は無意識的ではありました。
何を幸せとするか人によって違いますし、私にとって瞑想は楽しいものじゃないです、
明後日の自己実現願望は砕かれる事もありますが、しかし振り出しや原点というのは確実なものとも言えます。
強制的な身体と心の分離体験というのは、手術をした時や、川で溺れた時も体験した事を思い出したりしました、でも生命維持的危機がなくても、ただ歩いたり、座って呼吸などの観察のほうが良いとは思います。色んな体験があっても、結局は等身大の自己というのに戻り、日常で暮らしていく事は変わらないです。
余談ですが、ガラガラパシャンを半分救ったのはサン=テグジュペリの「星の王子さま」です。
たぶんこの栞は刻印されたのだと感じてます。
タイトルに(終)と付けたのは、私は膨大に文学的語彙が認識に混ざっているので、瞑想や科学世界を正しく記述する事は難しいのだと思います、なのでその道を護ってる方々を尊敬してます。
私はそれらを学びながらも、私の歩行できる範囲で背中に纏う混沌と共に出来る事を模索していくのだと思います。
引き続き、この星の安寧を念じます。