唐辛子は枯れたと思った リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 7月 13, 2026 唐辛子の植木鉢を置いた場所や、水の頻度のバランスが成っておらず、実も萎み、葉が枯れて落ちていった。置く場所を変えた、太陽光をちゃんと浴びれる場所だ。暫く経ち、よく観ると、新しく芽が出てきた。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
生きながら死にながら日常の非日常。 5月 10, 2026 (group inou - HALF) カモシカの跳躍の話がある、その通りだと思う、 成熟した中で生きていても、本領発揮や成長の瞬間が来ることは得難い。 だから、ある種、生きるか死ぬかの生存欲が点火する事で重要な事が抽出される。 しかしそれは火薬的であり、細胞も神経も消費してしまうので、常時それは厳しい。 だから、ハレ(非日常)とケ(日常)の行き来を制約させ、普段は日常を生き、 時に非日常により奥深くまで沈んだ無意識を照らすべく、ハレとケの接続が成される。 日常というのは、非日常の経験が元になってないといけない、どちらかだけでは成り立たない。私たちの社会は古来の伝統でうまくそれらの橋を持っていたけど、近年はそれらの回路はどうも遠くなっているように思う、分散化した密教が散らばってる。 でも、何であれ日常の中でも、一般的なブームとしての日常ではない世界の扉はいつでも開いてそこにある。 たとえば木、普段歩いていても、通学路でも、電車からでも、一瞬目に入るくらいだが、 時間がある時、5分でも1時間でも2時間でもじっと観察してみれば、いろんな事が見えてくるし、それは持ち帰ったどんぐりであれ、スーパーで買った蜜柑であれ、自分の手のひらであれ、自分の呼吸の感覚であれ、なんだっていい。 大事なのは過去の知識で対象を推察したり当て嵌めたりしない事だ。 「ありのまま」というフレーズはインフレーションし、言葉として機能してるか分からない。 最近はなんでも実態の無い言葉ばかりだ。 「本当のありのままのどんぐり」といっても馬鹿っぽい言葉になる。 しかしそれは死とか生とか言ってられない、そして、だから何だという事でもある。 私はエンタメの中でそれを感じるのが好きだ、「圧倒的に臭い」事この上ない。 パクチーも密教だろうか? 知るか。納豆も人によっては密教だ。 続きを読む
生命の交換と責任。(Re:1年半前の記事への追記) 10月 03, 2024 https://rapparu.blogspot.com/2022/12/blog-post.html 1年と半年以上前の日記では、生きる事の因果に耐えられなくなっていたと思う、 まず、ただ散歩する事も不意であれ虫を踏んでしまい、生命を犠牲にする、 植物と動物で境界を引く事も本来同じ生命として無茶な文節に感じる部分もある、 菜食であろうがそのプロセスで微生物含めた膨大な生命を頂いてしまってる、 では家に居てネットで食料を注文しようとしても、 それを運ぶトラックが一旦どれほどの虫を轢き殺してしまっているのだろうか、 殺す役割を他人におっ被せてるだけじゃなかろうか、 キリコさん「殺すのはオレの仕事さ」(引: 君たちはどう生きるか) 生きるという事、そしてそのシステム自体に対して些かなる疑問も感じる、 しかしその疑問自体が自己矛盾を発生させるし、この手の議論も何億と回転しただろう、 その疑の解に矛盾なく答えてるのは初期仏典だと様々な破片を拾ってきた挙げ句思った、 他の生命によって「完全なる不意」か「殺意の回転」であるなら、 私がアリやダンゴムシならニンゲンには前者を希望したい所、 ジャイナ教のように徹底するのも良いけど、たまに草むらを走り回るのも大事じゃないか。 とにかく、あり得ない数の生命のサポートで今もこうして生きてるし、 そのサポートに返礼も出来てない罪悪感が心の重力崩壊に関与していると感じる、 精神的な曼荼羅で言うとかなり下層かと思ったけど、まだ浅瀬なんじゃないかと思う、 それで言ったら戦争とかはもうお話にならないけど、ふわふわするので「足場」に絞る、 この前、中国から来た先生が長年やってる整体院に行ってみた、 ずっと机仕事で姿勢がエビだったのもあるが、とても良かった、 術のみでなく先生の話が滑らかで面白かったのだ、そして振る舞いにも軸がある、 その先生の「身体」自体が歩んできた歴史を感じた、 知らない単語も多かったけどほとんどインド哲学で置き換えて理解ができる、 口だけの文学的フレーズではなく、身体の実践、その細胞群があって言葉が宿っている、 身体内部の川の流れ(血流、神経)を精妙に重視している事に感動したのだ、 菌を含め膨大な微生物の集合体として身体を「小宇宙」という単語を使われてた、 でもそれは普通の事のハズなんだけど、どこかでアタマだけが忘れて... 続きを読む
天才が居た話 9月 27, 2025 ある劇場での出来事、 劇場を管理する方が扉で客の入場と退場を管理し、上映中は端に座っている状況だ。 しかし上映が終わっても電気は付かず、扉も開かない、どうやら寝てるらしい。 客全体はそれを把握し、お互いを「ウーム」と確認し合う、最終的に誰かが管理者を起こさなければならない。 そんな時、ある客がパチパチと拍手を初めた、それを機にみんな拍手を始める。 その拍手によって管理者は目覚め、無事出口は開いた。 ああ、なるほどと関心した。 「すいません、終わりましたよ」と声をかけてしまったら、寝てしまっていた事を本人が受け止めなければならない。 客が勝手に出ていっても、その方は次の入場の案内をしなければならない、 拍手によって目覚めさせるのは管理者からすれば上映が丁度終わったという認識で目覚め、何事も無かったかのように事を進める事が出来る。 選択肢型シュミレーションゲームの中でも最も永劫回帰の最善他ならないと感じた。誰も恥として残らない。そして最もスムーズであり、状況的違和感も無い。 一休さんじゃないけど、こういう知恵とユーモアが咄嗟に出てくるセンスに感動した。 そして自分はまだまだ修行が足りないと学ばせて頂きました。 続きを読む