今の生命宇宙、地球に限定して感じてみれば、 純粋からするとだいぶ奇妙であり、終局とも言えないバグとも見受けられる、 2001年宇宙の旅で言えば、HALとの勝敗とかいう次元ですらも無さそうだ。 地獄の存在意義があるとすれば、「ここには意味がない」と分かる材料しかない。 続けるのであれば、まだマシな段階があると魂レベルでの理解と納得を得られる。 しかし全ては生命の原因と結果であり、それ自体の賛美や否定といった地点も終わってる。 未来はパラレルであって、今の業から未来を断定する占いは、その占う者の割愛が介入してしまう。 しかし放置すれば無意識の泥として顕現するマリオネットになるならば、 まだ明瞭な占いによって善き使命体になった方が良いようにも思う。 無意識の世界の中に、波の影響を受けず冷静に観察すれば、 もはや何をしても、特に巻き戻ったり、善き流れに変わる期待も出来ないだろう。 しかし、その中で一向に慈悲を体現し、灯台となり、 そして出口を案内する人達を見てきた、 本当に頭が上がらない。ありがとうという気持ちで一杯だ。 明かりを他者に要求しても、火は灯らない、 ロウソクが消えている場合、誰かの火が必要になる、 自分から火を起こすしかない、これはラジャス、ピッタの比喩ではなく、 「意識的」である事を言ってる。 ヨガは身体を意識的にしていく、意識化すればコントロールができる、 瞑想の身体の観察も同じ流れだと感じるが、どのみち感じれるのは身体しかない、 聞こえてくる音も自分の身体であり、見える光も自分の身体だ、 その先は、善き師が居てこそだろうと思う。 集合的無意識は、シャレにならないし甘くない。